【新事実】「他人と自分を比べちゃいけない!!」コレ本当なの??

他人の不幸は蜜の味と言います。

自分以外の誰かが不幸になっているのを見ると

私はまだ大丈夫と、安心するわけですね。

しき

こんにちは!農作物筋トレブロガーのしきです!

目次

いつも他人を羨ましがっているあなたへ

我道を行くタイプだった?

「あなたへ」というか「過去の自分へ」と言っても良いかも知れません。

私自身、学校の勉強というのがどうも苦手で、真面目に取り組もうという気になれませんでした😅

興味が持てないんですね。

それでも義務教育課程では、点数を下に通知表は作られますから、5段階のだいたいとかになるわけです(笑)

それを見た親は当然、「おいおい、お前はそんなバ◯なのか」と言います。
(親は覚えていないでしょうけど)

私も点数を取ることを、あんまり気にしていなかったので、「うーん、そうだね」くらいにしか感じていませんでした。

むしろ

しき少年

なんでみんな、こんなクソつまらん勉強なんぞ真面目に受けて、テストで点数取って喜んでいるんだ??そんなことより、早く図工の時間になって絵を描きたい!

そう考えていました(笑)

もう自分が興味あることしかやりたくない!みたいな感じでしたよ😅

周りと同じ様にできないから叱られる少年時代

そんなに頭は良いほうじゃありませんが

授業の内容なんて、授業を聞いていれば普通に理解できるんです。

私は中学校の数学で5点を取ったことがあり、親を失望させたことがあります。

数学の授業なんてクソつまらなくて(数学好きの方、ごめんね😉)ほとんど聞いていませんでしたから。

でもたまーに妙なスイッチが入って、真面目にノートを取る時があるんです。

で、授業を聞いている分には、当たり前のように問題は解けるんです。法則に当てはめるだけですからね。

だけど、くそ面白くない!!!

問題を解いて「だから何!?」としか思えないんですよ😂😂

それがみんなと同じ様にできないからと言って怒られる・・・。

これってどうなの?🤔

「だったら全員、オレと同じ様に柔道できるようにしろや!!」って、中学生だったら思うじゃないですか😂

平均的に

「可もなく不可もなく」

みんなと同じ様に

っていうのが求められていたんでしょうかね。

あなたの中の「好き」を育ててください

社会に出て、会社員を14年ちょっとやりました。

そこで会社や上司から求められたり、私が部下たちに求めたのは

「数学の知識」ではありませんでした。

むしろ、その人の良い特徴を、上手く「使って」
(少し言葉が乱暴かもしれませんがご容赦ください)

それが発揮できるように配置する。もしくは動いてもらう。

そうするとお互いの得意と不得意が補い合えるんですね。

平均的で、どこか特化したものがない人間ほど、集団に馴染めず辞めていく事が多かったと思います。

だからできないことがあっても良い。あなたの

できることを伸ばしてほしいし、大事にしてほしいと、そう思うわけであります。

これってつまり、

「他人と比べる必要はないよ」

ということでもありますね😊

これをすることで、得意なことには自信がつくし、不得意なことも認めることができて、

素直になれたり、感謝ができたりするっていうことで

とっても良いことだと思っていますが、あなたはどう思いますか?

いつも他人のことが羨ましいと感じているあなたも、きっとあなたの得意が一つでもあるはずです。

それは、羨んでいる人には無いあなたの素晴らしい特性かも知れませんよ😉✨️

・「数学の知識」とは、一般科目とされてきた勉強をひっくるめていっています。
 言うなれば、「点数を取るための勉強・学習」のことです。
・もちろん一生懸命取り組んで、学力を伸ばすことは大いに賛成です!否定ではありません。
・ですが「可もあり不可もある」不完全な人間において、その人の「好き」を伸ばそうとせず、
 みんなを平均という箱に詰めようとするのはいかがなものかという問いかけです。

他人と比べることは悪いことなのか

よくネットでも調べたりすると

「他人と比べることをやめよう」

という言葉を見ることがあります。

私自身の考えですが、先に述べておきましょう。

「比べることが悪ではない」

「比べた後に、どう感じるかが大事だ」

です。

自分を中間に置いたらどう感じる?

日本のテレビメディアなんかは極端で

芸能人のリッチな姿を見せたと思えば

「こんなにも貧乏で苦しんでいる人もいる」

というつらい現実に直面している人の生活を、ノンフィクションとうたって放送しています。

それを見て、人がどう感じるのかというお話です。

例えば

自分より若い20代でイケメンで、モテて金があって、しかもテスラに乗っている
(テスラは好きじゃないと言う声も聞こえてきそうですが笑)

という、自分には無いものばかり持っているこの人を”Aさん”としましょう。


一方では

自分より大分年齢が上で、年収が低くてモテない一人暮らしのおじさま

という、今の自分の方が優越を感じられるこの方を”Bさん”とします。


もちろんこれは、男性でも女性でもかまいません。


さて、

この中間にあなたがいるとした時に

あなたはAさんを見てどう感じますか?

また、Bさんを見てどう感じますか?

これはあくまでも例なので、気分を害さないようにお願いします。

Aさんを見たとき

羨ましいなんであんな若いのに悔しい私にはできない面白くない調子に乗ってる・・・etc

Bさんを見たとき

私のほうがイケてる可哀そうに(哀れみ)私はまだ大丈夫ああはなりたくない・・・etc

前述のとおり、ここでは良い悪いの話はいたしません。

この問いかけに対するあなたの答えは、あなた自身が見つけてみてください。

安心と安全の先には苦しみが待っている

人はいつでも安心と安全を求めています。

それはホメオスタシス(恒常性)という性質のためです。これは言うなれば

変化をせず、一定の、安定した状態を望む仕組みが
私たちの身体、脳にあるからです。

Aさんのようにはなれない!

と考える事で、わざわざ努力をして変化しなくていいという、言い訳を作ります。


Bさんのようにはなっていない・・・

と考える事で、私は今のままで十分なんだ、と現状を肯定し、保とうとします。

しき

この考え方が崇高で素晴らしいから、あなたもそうなりましょう!

ではありません。

結局、苦しみのある今の状態から、なんにも変わらないではありませんか。

それではせっかく比較した意味がありません。

先程も言いました。

「比べることが悪ではない」

「比べた後に、どう感じるかが大事だ」

今のあなたが


今のあなた自身を考えた時

また

あなた自身が未来にどうなっていたいかを考えた時

どのように考え、どのように今を過ごしますか?

他人を見て比較している時、本当の比較対象は他人ではありません。

自分自身です!

今日がこれからで一番若い日です!

今日を良い日にしましょう(*^^*)


ということで


今日もお読みいただき

ありがとーございましたー!!

それじゃ

行ってらっしゃい!(^^)/✨️

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この記事を書いた人

しきのアバター しき 農作物筋トレブロガー,トレーナー,治療家

群馬県出身。38歳。治療家,パーソナルトレーナー,食育研究,柔道整復師専科教員,柔道四段。15歳でウェイトトレーニングを始め、高校卒業と同時に上京。パーソナルトレーニング、柔道整復師の免許を取得する。14年間の会社員時代に、接骨院、介護施設などでの治療、リハビリ、介助、運営を学ぶ。その後独立し、トレーニング・治療・リハビリの経験・知識を組み合わせたパーソナルトレーニングを指導する。身体だけでなく、わくわくした人生を送ってほしいという思いから、ブログ”わくしきぶろぐ”を立ち上げる。

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